2013年12月1日日曜日

悪文のノーベル賞作家

クヌギ林は霙模様。明日は雪が降るかもしれないという予報。
一ヶ月ぶりに会う隣人とコーヒーを飲みながら、四方山話。
「大江健三郎がなんだか新しい本を出しているよ」
「へえ、久しぶりだね、もう小説は書かないんじゃなかったの?」
「ぱらぱらとめくってみたが、読みやすそうなエッセイかな?」
下界に降りていつもの本屋で手にしたが、買って読もうとまでは行かなかった。
学生時代には大江は神様だった。
当時、大江を語らない学生はほとんどいなかったくらいに、バイブルのような存在だったと思う。
ところが、「万延元年のフットボール」くらいからなんだか読みにくいなあという感触が先に来て、しんどい小説になったと記憶している。

参議院候補になった大先生の本を編集した時、校正のたびに前より多くの書き込みが帰ってくるので、「先生、大江じゃないんだからこんなに書き換えられるといつまでも終わりませんよ!」と抗議したことがある。先生は「へえ、大江さんはそんなに校正のたびに書き換えるの」と、うれしそうに微笑んだことがある。何か勘違いしているのではと、少しばかりむっとしたのだが・・・。

大江夫人の証言によると、大江の作品の最初の読者は夫人だそうで、「お父さん、一度で良いから最初に書いた原稿のままで本にしたらどうですか。手が入るたびに読みにくくなっていくような気がするんですけど」と言ったことがあるとか。
大江の文章が下手な翻訳家のつぎはぎだらけの文章になっているのは、書き込み書き足しが多すぎる結果ではないかという我輩の予測は夫人の証言で裏づけられたと一人合点したものである。

しかし今でも大江は私にとって神様である。
たぶん今度の本も近いうちに手にすることになるだろう。

2 件のコメント:

  1. ほたるの宿2013年12月13日 7:29

    阿部公房は少しは分かったつもりだったけど、大江についてはちんぷんかんぷん。理解出来たのはせいぜい「河馬に噛まれる」ぐらいかな。大江がノーベル賞をとって俄かファンになり本を買った人達の顔を想像し、気の毒に感じたものです。
     もう、そんなに多くの本を読む時間はないし、自分の感覚に合うものだけを読もうと思っています。

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    1. 私は相変わらず乱読です。ところでお久しぶりですね。お元気でしたか?術後の経過も良いらしく、博打と映画とヤマ暮らしの生活を楽しんでいます。

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